ユダヤ人大富豪の教え

読了。
自分で購入することはまずない部類の本。
嫁さんが暇つぶしにと買ってきた。
それほど本を読みきらない彼女が読み終わったので、会話のタネになるだろう、との目論見もあって読んでみた。
しかし、僕ならいくら暇でもこの本は買わないなぁ。
以下はヤな理由。
・金持ちの成功体験は役に立たない
成功したからいえることで、同じことをやって失敗する人が10000人くらいいるだろうから。
・タイトルからの想像だけど大富豪に教えてもらって自分も大富豪って発想がなんかイヤ
これはただの個人の性向だな。
・あんまり大富豪指向ではない
これも趣味の問題か。でもさ、両手で抱えきれないものを持ってもしょうがないって思わない??

というわけであまりポジティブな印象はないままに読み始めた。

結果。
いい事も書いてある。多くの人に気持ちよく助けてもらう、とか。
なんでも自分でやっている、自分一人でやってるんだ、とアムロのように考えがちなのが僕の悪いところなので、肝に命じたい。

けどさぁ・・・
なんだかポジティブシンキング本でやっぱりイヤ。
ポールグレアムのいうような富を生み出しつづけること、誰もがそれをできれば、みんな自由人になれるのかもしれない。
けど、実際にはそういう意味での富を生み出していない、人とか企業も多い。
っていうかソフトウェア業界でいえば大半はそうなんじゃないか、と考えてしまう。
元気のないときには特にそう思える。
この問題を解決しますよ、っていうソリューションは問題を別のところに移しているだけなんじゃないかって。

このシステムを入れれば生産管理がこんなに簡単になりますって言われて導入してみたりする。
その代わりに導入に高額な金額を払って、保守料も払って、でも世の中の流れが早く変わりすぎてすぐに陳腐化してしまう。
陳腐化してるのに情シス部門まで維持していかなければならなかったりする。

システムの構築がこんなに簡単にできるようになりますっていわれて、caseツールやらフレームワークを導入してみたりする。
ツールの奇妙の制限事項とか、挙動に悩まされ、微妙な使い心地のプログラムしか作れなくなる。でもライセンス料はがっちりとられる。
ブラックボックスになってる妙なクラスライブラリのバグをごまかしながらプログラムを動かすことに四苦八苦して、本来時間をかけるべきテストとか、プログラムの改良にかける時間がどんどんなくなっていく。

先の例では運がよければ生産管理が楽になるが、その代わりに情報システム部門が複雑になって問題箇所が移動しただけじゃないか?

後の例では簡単な単純作業の部分をcaseツールやフレームワークが肩代わりしてくれるかわりに、通常なら少し工夫のいる部分が、とんでもなく難しくなってしまって、問題箇所が移動しただけじゃないか?

僕等の作るほとんどのシステムは、問題箇所をあっちからこっちへ移動させているだけなんだけど、それにお金を払ってもらっているんじゃないか?
そであるなら僕等は富をつくり出しているわけじゃない。
マイクロソフトなり、オラクルなり、SAPなりごく少数の企業がつくり出した富のはじっこにぶら下がって、問題を右から左に移すことに対価をもらっているだけなんじゃないか?

世の中の大半がそうなんだったら、大抵の人は自由人にはなれないだろう。